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すがわら一秀の生い立ち

昭和37年練馬区豊玉に生まれる。3500グラムの元気な赤ん坊だった。 小学校1年生から野球に明け暮れ軟式野球、リトル、シニアリーグも経験。 小学校4年生の時、父が秋田県から衆議院に挑戦するも涙をのみ、「父ができなかったことを果たそう」と子供心に決意。
「やはり、自分の夢は政治家になること」と思い直し、早大雄弁会の門を叩く。この間、欧米、アフリカ他60ヵ国以上を一人旅。 大学入学後、ディスコダンスに目覚め、全国大会で入賞。trfのサムとユニットを組んで、全国行脚。 早実野球部でバッティングピッチャーをつとめ、甲子園に3回出場する牽引力となる。
大学卒業後、総合商社の日商岩井(現、双日)に入社。商社マンとして世界を飛び回る。 平成2年28歳で会社を退社。練馬区議会議員を目指し、練馬駅に立ち始める。 29歳で区議に当時、最年少で初当選(トップ当選)。練馬区議会にて地方自治の現場から福祉問題を中心に活動。
練馬区議を2期つとめた後、35歳で東京都議会議員に挑戦、初当選を飾る。 「必ずはいあがってみせる」、そんな思いのなか、毎朝の街頭演説は継続。 31歳の時、父の会社が他社の借金の保証人になったことがきっかけで倒産。全てを失う。
石原都知事に対し、堂々の質問を展開。副政調会長、副総務会長を務める。 38歳、国政に初挑戦。81,912票を獲得するも4,538票差で次点。 選挙の翌朝から駅頭に立つ。その後3年5ヶ月、くる日もくる日も区内を歩き続ける。
小泉改革を断行。また、「議員年金廃止」「社会保険庁の解体」を目指し、ともに議員立法を立ち上げ、成立させる。 衆議院議員として「改革」を旗頭にし、党改革実行本部の理事としても汗を流す。 41歳、2度目の挑戦で、112,868票を獲得、初当選。お支えくださる後援会の皆様に感謝。
平成17年、153,309票で2期目当選。厚生労働政務官として、年金・医療・介護・子育てを中心に担当。「消えた年金」「肝炎対策」について、厚生官僚と対立しながら斬り込む。 麻生幹事長(当時)のもと、無派閥ながら、自民党副幹事長に就任。 「改革は後退させてはならない」「しかし、改革は、それによって生じたその痛み、歪み、ひずみに光を当ててこそ完成する。」
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すがわら一秀 オフィシャルサイト isshu.net
変わらぬ情熱 「次代」への責任